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「浄土真宗」は、平安時代から鎌倉時代を生きられた親鸞聖人を開山聖人とする、仏教の宗旨です。私たち真宗大谷派を含めて十派(真宗教団連合)があり、連携しながら精力的に教化活動を行っております。
もともと「浄土真宗」は、宗派の名ではなく、<浄土の教えのまことをいのちとする>生き方を示しています。親鸞聖人が師と仰いだ法然上人から教えられた念仏往生の教えの真実を、わがいのちとする。このことを親鸞聖人は「浄土の真宗」と表明したのです。
日本では長い間、念仏の教えは、機根の劣った者に淡い希望を抱かせるための仮の手段と見なされ、軽んじられてきました。ところが法然上人は、あらゆる人々が無上の救いに到ることができる唯一の教えは念仏のみであると決定され、法然上人のもとに教えを聞くために、身分や職業、貴賤や性別を問わず非常に多くの人々が集まり、念仏を称えて浄土を願う人々が増えていきました。しかし、この動きを危険視した既成教団と国家が、この集まりを破壊し、念仏者を取り締まりました。さらに、法然上人亡き後、いわれのない自義を主張する者があらわれ、浄土の教えが曲解されていったのです。
このような混乱のなかで親鸞聖人は、法然上人が伝えようとした<浄土の教えのまこと>を明らかにして、多くの人々に伝えることに生涯を尽くしていかれました。親鸞聖人のご苦労がなければ、私たちは、念仏の教えのまことに遇えなかったのです。
「浄土真宗」のなかで、全国的に「お東さん」と呼称される宗派の正式名が、「真宗大谷派」です。
浄土真宗は、親鸞聖人以降、一族の分流や、門徒集団の単位によって分かれており、現在は十派(真宗教団連合)が連携しながら教化活動を行っております。特に教団の規模が大きいのは、当派と「お西さん」(本願寺派)で、もともとは親鸞聖人の末裔として一つの教団でしたが、戦国時代の混迷期、本願寺の家臣の思惑が絡んだ内部対立と豊臣秀吉の介入によって、本願寺12世教如上人は退き、弟の准如上人が本願寺を継承しました(のちの「お西さん」=本願寺派)。ところが、教如上人を支持する勢力は強く、さらに徳川家康の強力な後押しがあり、現在の東本願寺の地に新しく教如上人の活動の拠点が設けられました。これが「東本願寺」であり、のちに宗派名を「真宗大谷派」と名のる教団の始まりです。
宗派名の「大谷」とは、古来より親鸞聖人の墳墓のあった地域は「大谷」と呼ばれており、この墳墓を守る一族(親鸞聖人の血族)は「大谷」を姓とするようになりました(東・西ともに本願寺の御門首は「大谷」姓です)。
東本願寺は、「真宗大谷派」(浄土真宗)の本山で、「真宗本廟」と言います。
境内は、宗祖親鸞聖人の御真影を安置する「御影堂」、ご本尊の阿弥陀如来を安置する「阿弥陀堂」、この二つの堂舎を中心として、諸殿群が配置されています。
もともとは、親鸞聖人の亡き後、聖人を慕う多くの人々によって聖人の墳墓の地に御真影(親鸞聖人のお姿をかたどった像)を安置する廟堂が建てられました。「真宗本廟」というのは、廟堂から本願寺がはじまったことに由来します。
以来、今日にいたるまで、親鸞聖人が明らかにされたお念仏の教えに出遇い、同朋の交わりを開く根本道場として、門徒・同朋のお志によって護持されています。
「本願を信じ、念仏を申さば仏になる」
真宗大谷派では、本尊は「阿弥陀如来」一仏と定まっています。本山をはじめ全国の寺院、ご門徒のお内仏(仏壇)はすべてご本尊は「阿弥陀如来」です。
この「阿弥陀」という名は、インドの言葉では「アミターユス」(限りない寿命)「アミターバ」(限りない光)の「アミター」(限りない)を漢字で表記した名です。「限りない」寿命と光の仏が、阿弥陀如来なのです。
今この瞬間も、来年も、100年後も10000年後も、そのずっと先も、限りなくどんな時も人々を必ず救う(無量寿)。どのような人であろうと、孤独の深い闇にあっても、限りなく光を届けて必ず救いをもたらす(無量光)。この仏さまが「阿弥陀如来」なのです。
阿弥陀如来はこの願いを成就するために、どのような方法を選ぶべきか、あらゆる人々の生活や苦悩を目の当たりにしながら、途方もなく長い間思惟されました。「念仏」や「浄土」は、その結果選び抜かれた、たった一つの道です。
阿弥陀如来は、我が名(「南無阿弥陀仏」)を聞き称えるだけで、どのような人も往き仏になるという救いの世界「浄土」を開かれました(「本願を信じ、念仏を申さば仏になる」)。
きっとにわかには信じがたいでしょう。だからこそ、お釈迦さまはじめ、あらゆる仏さまは、私たちが信じることをお勧めされているのです。
親鸞聖人(1173年〜1262年)は、平安時代から鎌倉時代にかけて、90年のご生涯をおくられました。
9歳で出家され、20年間比叡山で厳しい修行を積まれますが、迷いの霧が晴れることはなく、聖人は山を下りる決心をされ法然上人をたずねられます。そして、「どのような人であれ念仏ひとつで救われる」という本願念仏の教えに出遇われます。
あらゆる人びとに救いの道をひらいたこの教えによって、多くの念仏者が生まれましたが、それまでの仏教教団からの反感をかうこととなり、朝廷への訴えによって、法然上人は土佐へ、親鸞聖人は越後へ流罪となりました。
その後に聖人は越後から関東に移られ、そしてその地で20年間、懸命に生きるいなかの人々と共に暮らし、すべての人が同じくひとしく救われていく道として、念仏の教えを伝えていかれました。
そしてこのような聖人の願いと生き様は、教えに出遇って生きる喜びを見い出した多くの方々のご懇念によって、今日に至るまで相続されてきています。
本願寺第10世。1516年〜1554年
祖父の第9世実如上人のあと、10歳で継職。戦国乱世を生き抜くために、本願寺の体制の立て直しを遂げられました。
ご先祖は、子孫が守り、受け伝えるということが、困難な時代になっています。
「永代供養」とは、お参りする子孫がいなくなっても、お寺が責任をもって大切にお参りすることをいいます。そのために行われる仏事が、「永代経(法要)」または「祠堂経(法要)」です。縁ある方々の志によってこの仏事が行われ、お寺が絶えることなく護持され、ご先祖を敬う場が後世に受け伝えられていきます。
私たちは、どのような生き方をしようと、だれもが等しく阿弥陀如来から願われた「いのち」を生きています。その願いを永代にわたって忘れないために、阿弥陀如来に手を合わせて教えを聞き、門信徒が協力し合って維持されてきたお寺が満福寺です。
お参りする子孫がいなくても、満福寺が丁重にお守りさせていただきます。
お墓がない、または、お墓の後継ぎなどの不安を持つ方々のなかで、「合葬墓」を希望される方が増えています。新しくお墓を建てる必要がなく、お掃除やお参りは管理者が行います。住職が守る「お寺のお墓」とも言えます。
(注)ご希望される方のお骨を、志を同じくする多くの方々と一緒に埋葬するお墓です。
阿弥陀如来の浄土に生まれると、聖衆と倶に会う(聖衆倶会)という功徳があります。どのような人も、お浄土に生まれると聖衆(仏・菩薩)となり、無数の聖衆と会う喜びを得るのです。
この「聖衆倶会」の碑がある合葬墓は、様々な方々のお骨を一緒におさめておりますが、縁なき人々のお墓ではありません。むしろ、私たちに先だって浄土に生まれ、私たちを迎え入れてくださる方々のお骨が納められているのです。この合葬墓で、仏・菩薩として温かくお迎えくださる聖衆と、ご縁を結んでいただければと思います。
一年のはじめに、まずお寺にお参りし、門信徒のお仲間ともどもに、この一年をお念仏申しあう生活にしようと確かめあう、お勤めです。
「彼岸」とは、彼(か)の岸という意味です。人生を生き尽くしたその先に、だれもが迎え入れられる彼方が、阿弥陀仏の国・浄土です。「西方浄土」とも言われ、西の方角に仰がれてきました。このため、一年のうちで太陽が最も真西に沈む日が、「彼岸会」にふさわしいとされ、春と秋の二度、勤められております。
お葬式のあと、中陰(四十九日)が過ぎ、はじめてお迎えするお盆のこと。初盆とも。
一般に「お盆」と呼ばれている仏事です。
餓鬼道に堕ちて、渇きと飢えに苦しむ母親を救おうと、息子の目蓮尊者(釈尊の弟子の一人)は力を尽くしたのですが、母親はさらに苦しみを増していきました。思う通りになるどころか逆に苦しみを与えてしまう目連の苦悩、そして目蓮に寄り添った釈尊の説教(『盂蘭盆経』)が元となって行われている仏事が「孟蘭盆会」です。
私たちの行いは、本当に亡き人の喜びになっているでしょうか。お念仏を申し、お浄土に生まれる身となることが、最も確かな喜びです。参詣いただき、お念仏を申し合いましょう。
ご本山(京都 東本願寺)をはじめ、全国の浄土真宗の寺院で執り行われる、年中で最も大切な法要が「報恩講」です。真宗門徒の一年は、「報恩講ではじまり、報恩講で終わる」と言われるほど大切に勤められてきました。
念仏の教えに遇い得た喜び、その心は宗祖親鸞聖人に対する報恩謝徳の営みとしてあらわされてきました。それが報恩講です。親鸞聖人が生涯かけて念仏の教えを顕かにし、伝え残してくださった、九十年のご生涯をしのぶ集いです。どうかご参詣くださいませ。
一年最後の夜、一撞き一撞き、ゆっくりと満福寺の鐘楼を撞きながら、この一年をふりかえり、あらためて念仏の教えに生きることを確かめる行事です。
撞く回数は、誰もが持っている煩悩の数である「108」とされています。この「108」は、合掌で使うお数珠の玉の数でもありますが、実際は、108の約数に省略しています。除夜の鐘も、回数にこだわりを持つよりも、一撞き一撞き、一年をふりかえりつつ、煩悩ある身として念仏申して生きていこうと、丁寧に撞いてください。